2009年171通常国会:速記録

臓器移植法改正案、子ども臨調設置法案に関する参考人質疑


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2009年7月6日(月)

【参考人質疑】

小池晃君

 日本共産党の小池晃です。

 宮本参考人と井手参考人にお伺いをしたいんですが、宮本参考人には腎移植を待っている患者さんが一万人超えるという数字も出していただいて、もうこれは本当に解決が必要だと思うんですね。その点で、いただいた資料でいうと、死体腎移植は一九八九年の二百六十一がピークで、それからむしろ減っている。死体腎移植を普及していくためにどういう法制度の見直しが必要なのか、全腎協としてどういうふうに考えておられるのかお聞かせいただきたいというふうに思います。

 それから、井手参考人にはドナーの立場のお話聞かせていただいて、現行制度でいうとドナーカードがあって、混乱の極みにある家族が辛うじてそこにその本人の意思で提供したいというのがあると、それがある意味では一つの支えになって判断できるのかなというふうに思うんですが、今度のA案のような形になりますと、もう全くそのことも含めて、家族が、本人がどういう意思を持っていたのかまで含めて判断を迫られるということになっていくわけですよね。そうすると、やっぱり本人、ドナー家族にとっての負担というのは物すごく、今の制度で辛うじてその支えになっていたものがなくなるということはかなり大きいのではないかなと思うんですが、その点について、ドナーの立場としてどういうふうにお考えになるか、お聞かせ願えればと思います。

参考人(宮本高宏君)

 先生御指摘のとおり、添付させていただいた慢性透析療法及び腎移植の推移の一覧表を見ていただいたとおり、一九八九年をピーク、この年に死体腎移植の年間移植症例数として二百六十一例まで達している。その後、徐々にその提供数が減ると同時に腎移植の件数が減ってきたというのは事実であります。

 これは、既に先生方御案内のとおり、臓器移植法が一九九七年に施行されて、当然腎臓移植につきましては、あくまで脳死下の下での提供でなければ実施し得ない移植ではなしに、心停止後の提供によっても移植可能な臓器であることは事実であります。で、その臓器移植法施行までについては、先ほども申しました角膜と腎臓の移植に関する法律に基づいて腎臓移植が施行をされてきて、心停止下での腎臓提供ということでずっと件数が伸びてきた。一九九七年の臓器移植法の施行によって、今もそうですが、こういった脳死とかにまつわる議論の中で一般の国民の皆さんが受け取られるというか、情報として受け取られる中で、従来、心停止下でも提供可能であった腎臓についても、脳死下の提供でなければなかなかそれが無理なのかという、ある意味違った認識の下で浸透したということもその後の腎提供の件数の減少に至ったというふうに考察もされていますし、それは一因として私自身も考えられるところだろうと思います。

 一つの点としては、私どもはですから、腎臓移植が心停止下での提供で可能であるからそれでいいというふうには決して考えていませんので、先ほども申したように、私ども始めほかの臓器不全の患者さんで、国内での臓器移植が必要な患者さんがすべて、希望すれば、願えば移植ができるような環境整備をする必要があるという意味で臓器移植法の成立にも一定の発言をしてきましたし、努力もしてきましたし、ネットワークの整備等についても尽力をさせていただいたというところです。

 もう一つ医学的な面でいうと、確かに腎臓は心停止後の提供で移植が可能ということも事実ですが、その術後の経緯を考察したときには、脳死下での提供の方が生着率なりその後の生存率が高いというのも事実であります。

 ですから、私どもは、角膜と腎臓の移植の法律を受け継いで現行法の臓器移植法に移って二百足らずぐらいの提供数で推移したものが、今後、よりその件数が増えるためにも、現行法を改正した上で一人一人の提供の意思が生かされるような形にすべきだということは先ほど申し上げたとおりであります。

 ただ、減っている現象については、そういう現行の臓器移植法施行後の混乱が影響したということは考えられる一要因だというふうには認識をしております。

参考人(井手政子君)

 私はあえて、ドナーカードがあることでつらい究極の決断を家族はできるのではないかなというふうに思います。それがあったからこそ、泣く泣く気持ちを切り替えていくという意味では、今後の気持ちの上での負担は少ないのではないかなと思うんですね。

 済みません、山本さんに答えてはいけないんでしょうか。臓器移植、移植のときのみ脳死を人の死とするというところでは、私、二つほど考えがあるんですが、やっぱり家族を説得しやすいのではないか、脳死をいわゆる臓器移植のときのみ人の死とするということを省くということは、法律でそうなっているということで家族を説得しやすいのではないかなと。それから、家族の心の負担を軽減するためにそれが作られたのかなというふうに思います。

 それで、そうすると、臓器移植法案のところであるから、常識的には、それはあえて項目を入れなくても大丈夫というお話なんですが、拡大解釈をするというのは非常に議員さんたちの特技ですので、それが独り歩きをしないという保証は、国民はしっかり受け止められないのではないかと思います。あえてそういう項目を、臓器移植のときのみ脳死を人の死とするというところのファジーな、あいまいさが私たちに非常に安心感を与える、そこにだけ限定されるということで非常に安心感を私は感じますが。

(略)

小池晃君

 日本共産党の小池晃です。

 谷澤参考人とぬで島参考人にお伺いしたいんですけれども、谷澤参考人のお話で、移植が必要な子供たちを実際診療している小児科医の中で小児の脳死診断が医学的に可能だと答えている人が三二%、それから虐待の判断が適正に行えると答えた人が一二%というのは非常に重い数字だなというふうに思うんですね。それで、やっぱり小児科学会のコンセンサスになっている基盤整備、虐待児の問題、それから意見表明権の確保、それから小児の脳死判定基準、今もちょっとそういう議論あったんですけど、やっぱりそれがないままに法制度だけがスタートしてしまうということになるとかなり混乱したり、あるいは今度、小児の脳死臓器移植ということについて逆に道を狭めていくというような、そういう結果になるんじゃないかなという懸念を持つんですが、参考人はどうお考えになっているか、お答えいただきたい。

 それから、ぬで島参考人には、今議論の中で六条二項を削除するのを元に戻すというのがありますよね。先ほど参考人おっしゃったように、このA案の一番大きな問題点、いろいろ指摘されたけど、本人同意が必須になっていたのを外すと、それとはある意味では関係ない話なわけです。そういう意味でいうと、提案者なんかもそもそも一律に脳死を人の死としてないんだと言っている以上、これを復活させたからといって余り法の体系全体、この考え方としては変わりがないんじゃないかなというふうに思うんですが、参考人はこの六条二項を復活させるというふうな議論についてどういうお考えをお持ちか、お聞かせいただきたいと思います。

参考人(谷澤隆邦君)

 理想的な形を申し上げれば、完璧な基盤づくりというのが、これはもうどなたも異論のないことだと思いますが、やはり医療現場としては、臓器提供を待っている子供たちのこともありますので、それなりの基盤ができた段階で、歩きながら考えるではないですけれども、そういったことがやはり求められてくる。医学というのは非常にプラクティカルな学問でございますので、必ずしも物理学とかそういったものの自然科学と少し違うところもございますので、その辺は我々もコンプリートな形での基盤という形ではなくて、ある程度のアクションプランができて、それが国民にまた納得できるような形で啓発活動が進めば脳死に対する考え方もやはり変わってくるだろう。スペインモデルなんかもそういうところがございますので、やはりアクションをするということが非常に重要であるというふうに思っています。

 ですから、理想とある程度現実的な線と両方加味した形で我々は考えております。そういうスタンスでございます。

参考人(ぬで島次郎君)

 お答えいたします。

 伝えられているようなA案の六条二項の文言を元に戻すというような修正は余り本質的な修正ではないのではないかという御質問でしたが、私もまさにそのように考えます。本人同意を外していいかどうかというのがA案の本質ですので、この文言の修正は私は余り意味のないことであると考えます。

 私が先ほどから申し上げているように、本当に考える修正としては、親族優先指定というのを本当に入れていいのか、それから、例えば臓器移植法は主要臓器しか対象にしていないので、日本国では臓器以外の人体組織の売買を禁止する法規定がない、心臓は売買しちゃいけないけど心臓弁は売買していけないとは言われていないという非常におかしな状況にあって、WHOのガイドラインがもし五月に通っていたら、A案のままでは日本は対応できなかったと思うんですね。それと、生体移植の問題もありますので、その辺まで踏み込んだ修正がなければ、その文言、第六条二項の文言の修正だけではA案が抱えている様々な懸念を払拭することはできないと考えます。

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