「いつでも元気 2011.7 No.237」より |
避難所で被災者の訴えをきく日本共産党・志位和夫委員長(右から3 人目)と筆者(同2 人目)。宮城・石巻市立湊小学校で |
五月に入り、岩手・宮城・福島県の被災地を訪問しました。
いまなお深刻な被害。仙台市の避難所で農家の方から聞いた言葉が私の耳から離れません。
「二カ月がんばってきたけど、もう気持ちが折れそうになっている」
津波で漁具や農機具、そして新築したばかりの家まで流された打撃は、はかりしれません。みなさんは口々に「マイナスではなく、せめてゼロからのスタートを」とおっしゃいます。この声は本当に切実だと痛感しました。
再出発のための基盤づくりもあわせて、国の支援は待ったなし。政府は一刻も早く希望の持てるメッセージを出すべきです。被災地の願いにこたえる二次補正予算も急いでつくらなければなりません。
田畑や牛の世話もできず
福島第一原発事故による放射能被害が現在も続いている福島県のみなさんの苦悩は、いっそう深いものでした。
山は新緑でおおわれ、美しい花が咲き、なにごともなかったような風景でも、田畑の手入れも牛の世話もできない。住み慣れた家からは立ち退きを命じられ、いつ帰れるのか、帰れる日が来るのかどうかもわからない。その不安はとても言葉に表せないものです。南相馬市の避難所で「お願いだから原発をなくしてください」と訴えられた方の涙がいまも忘れられません。 原発事故では、全力をあげて危機を収束させるとともに、周辺住民や原発作業員の恒久的な健康管理、医療保障も必要になります。
そもそも今の原発の技術は、放射能を出し続ける使用済み核燃料の処理方法すら確立していない、未完成で危険なものです。政府はいまこそ原発からの撤退を決断し、原発をゼロにするための期限を決めたプログラムをつくらなければなりません。
震災の影で社会保障切り捨て宣言
そんな中、厚生労働省が五月一二日、政府の「社会保障改革に関する集中検討会議」に文書を提出しました(『社会保障制度改革の方向性と具体策』)。
この文書は、今までの歴代政府の社会保障「改革」について、後期高齢者医療制度、医療費「適正化」や平均寿命の伸びなどにあわせて支給額を削減するという年金の「マクロ経済スライド」の必要性などを列挙して、「様々な見直しを行ったが...それでもなお安定性と持続可能性の観点からさらなる改革が必要」としています。「さらなる改革」なんて、とんでもない! これらはみんな、民主党が野党の時には反対してきたことだったはずです。
厚労省は、東日本大震災の「被災者が支えあう姿や全国からのボランティアが支援する姿」が「日本の誇るべき『絆』」だといいます。そして、このように「共に助け合うことこそが社会保障が本来目指すべき姿」であり、このことで社会保障の「『給付の重点化』『選択と集中』『優先順位の明確化』という課題をクリアできるようになり、社会保障の機能強化が実現する」と言ってのけるのです。
私はあきれました。これではまるで震災を利用した"社会保障切りすて宣言"ではありませんか。
大災害から国が学ぶべきことは
未曽有の大災害から国が学ぶべきことは、憲法二五条の生存権がいかに保障されていないかという国民の現実です。その現実を変えるために国は不断の努力をおこなわなければ。「火事場泥棒」のような社会保障改悪は、断じて許してはなりません。