「いつでも元気 2011.6 No.236」より |
東日本大震災の被災地に行ってきました。東京都知事選挙での「被災者支援に全力をあげる」という公約実現の思いもこめて。
寝袋と、久しぶりの「聴診器」を詰め込んだリュックを背負い、バスで六時間。東北大学の学生時代に何度も通った宮城民医連の坂総合病院へ向かいました。
心労に苦しむ避難者
地元議員から被災地の現状を聞く |
バスが福島県に入ると、道路にできた段差の衝撃でたびたびガクンとゆれるようになりました。そして仙台市内に入るやいなや風景が一変。津波の惨状が車窓に広がり、私は息をのみました。
坂総合病院の地元である宮城県多賀城市では、全国から駆けつけた医師や看護師とともに、避難所での巡回診療、医療相談にくわわりました。大きな体育館を家族ごとにダンボールで仕切っただけなのですが、一カ月を超える生活の中で手製のドアがつくられているなど、工夫のあとも見られました。
「からだの具合はいかがですか。心配ごとはありませんか」と回っていくと、次々に呼び止められました。血圧を測ると「いつもより高い」と驚かれることが多く、避難所暮らしのストレスの大きさがうかがえました。
ある若い女性は、「避難所の中で怒鳴りあいの声が聞こえると、急に動どう悸きがして胸が苦しくなる」と。同じ被災者とはいえ、見ず知らずの人たちが、二四時間同じ空間の中で過ごす心労は相当のものです。空き住宅や仮設住宅を、一刻も早く確保しなければ!
職員、利用者も犠牲に
いちばん衝撃を受けたのが、坂総合病院の今田隆一院長に案内していただいた、東松島市野蒜(のびる)にある、松島医療生協「なるせの里」です。ここでは一一人のデイサービス利用者と三人の職員が犠牲に。二階建ての一階部分は無残に破壊され、階段の二階近くまで津波のあとが残っていました。
自動車で逃げた人たちも津波で押し流され、施設に残った車いすの利用者さんを職員が必死に二階に担ぎ上げているさなか、津波が直撃したそうで、そのむごさと無念さに胸がしめつけられました。
宮城県第二の都市である石巻市では、被災からひと月以上たっても、がれきの山が延々と続き、あちこちで地盤沈下による浸水が起こっていました。
津波で流れ込んだヘドロが乾燥して"粉じん"となり、街中にたちこめていたのも気がかりです。倒壊した建物のアスベストが含まれているのではないか。沿岸部の化学工場や製紙工場の中を抜けて町を襲った津波だから、有毒物質も含まれているのではないか。
訪問した日の地元紙『河北新報』では、石巻市で粉じんによるとみられる肺炎が多発していることが報道されていました。
復興へ、これからが正念場
惨状の中で希望を感じたのが、ある避難所での光景です。東京から来たダンスグループの若者や、多国籍のボランティアグループが小学校の校庭に並び、校舎の窓に鈴なりになった被災者が笑顔で感謝の拍手を送っていました。避難所の仕切り役をつとめる共産党の地元市議さんが私を紹介してくださると、飛び入り参加の私にも大きな拍手が。
地震や津波は防げなくても、人間のきずなはそれを乗りこえる力を持っているはずです。それを後押しするのが政治の役目。復興に向け、これからが正念場です。