本気の怒り私と同じ
「上告という結論を出した場合には徹底的に追及する」
マツヤデンキ過労死訴訟の上告期限が4日後に迫った4月26日、厚労省庁舎の一室に小池議員の声が響きました。名古屋高裁が出した遺族側全面勝訴をうけての厚労省要請。
同席した原告の小池友子さん(40)=愛知県豊橋市=は「小池議員が本気で怒ってくださり、わたしと同じ思いなんだとうれしくなりました」とふり返ります。
販売ノルマ
2000年12月25日のクリスマス。友子さんは息子を連れ実家に帰省していました。残業続きで疲れていた夫の勝則さん(当時37歳)を気遣ってのことで、夜11時半ごろ勝則さんに電話すると「疲れたので早く寝る」との声。最後に聞いた言葉でした。
勝則さんは障害者手帳3級の心臓機能障害で、医師からは「仕事は事務的なものしか無理」と言われていました。マツヤデンキは勝則さんを「障害者枠」で採用しながら、入社に際しての健康診断をしませんでした。仕事は一日中立ちっ放しの店頭販売で、販売ノルマを持たされました。
午前10時始業なのに実際は9時出勤。年末商戦の12月中旬からは閉店も午後9時まで1時間延長され、勝則さんは足のむくみと疲れを訴え、父親になついていた息子とも入浴しなくなりました。死亡前1カ月の残業時間は44時間30分に達していました。
ところが豊橋労働基準監督署は勝則さんの残業時間を24時間しか認めず、「負担が過重なものとはいえない」と労災申請をはねつけました。
自身も歩行障害と高次脳機能障害を抱える友子さん。「障害者独自の労災基準がないのはおかしい」と裁判でたたかうことを決意します。友子さんを小池議員に結びつけたのが、トヨタで働いていた夫を過労死でなくした内野博子さんでした。
「08年2月に内野さんから『名古屋市の共産党演説会に小池議員が来るから、一緒に行かない』と誘われ、楽屋までおじゃましたんです。楽屋で5分くらいの会話でしたが、小池議員はなにが問題の核心か、すぐに理解してくださいました。それから裁判資料を送るようになったんです」(友子さん)
質問が力に
名古屋地裁は、勝則さんの残業時間は過労死認定基準の45時間を下回るから労災ではないと請求を棄却(08年3月)。控訴した友子さんに12月、「小池議員が18日の参院厚労委員会でマツヤデンキ訴訟を取り上げた」という連絡が入りました。「さまざまな障害に応じた労災基準が必要だ」と迫る小池議員に、舛添要一厚労相(当時)が「今後の検討課題だ」と答える画期的な質問でした。
「高裁の結審が迫っていたので、議事録がいつできるのかと何度も国会に問い合わせ、裁判所に提出しました。この質問がなければ高裁も難しかったと思います」と友子さんはいいます。
友子さん親子が見守るなか名古屋高裁は4月16日、勝則さんの過労死を労災と認める判決を出しました。
2週間後に厚労省が最高裁に上告し、たたかいは続きます。公約の「命を守る」政治を鳩山政権は投げ捨てたのか。友子さんは「障害者の生活をどう考えているのか。夫のような事例はほかにもあり、後に続く方々のためにも絶対に認めさせたい。共産党は市民一人ひとりの声をしっかり受け止めるのがすごい。過労死をなくすため小池議員はもちろん、共産党の議席も伸びてほしい」といいます。
(2010年05月21日・しんぶん赤旗)