ずっと一緒、希望みえた
放課後は家の中でなにもすることがなくテレビ・ビデオ漬け。こうした傾向は障害が重くなるほど、子どもの年齢が上がるほど高まり、母親など家族への心身への負担は著しい―。1990年代に民間団体などが実施した調査です。
当時、障害がある子どもと家族のこうした悩みにこたえようと始められたのが、児童デイサービスを活用した放課後活動。京都市・障害児に学童保育を保障する連絡会事務局長の津村恵子さん(47)はいいます。
「放課後や学校が長期休暇の時は、地域で友だちと一緒に遊びたい。国の障害者支援費制度のなかで乳幼児の療育(治療と教育)と発達を保障する児童デイサービスが位置づけられ、2000年代に入り、県や市町村も動かし放課後活動は全国に広がりました。1万人以上が過ごします」
切り捨てへ
03年度から始まった支援費制度は、旧自公政権の社会保障費削減路線のなかで予算不足に直面し財政的に破たん。厚生労働省は06年、障害者と家族の大きな反対をふり切って導入した障害者自立支援法(05年10月、自民・公明が賛成し成立)のなかで児童デイサービスの見直しの方向を打ち出します。原則として就学前児童(乳幼児)の療育機能をもつ事業と位置づけ、学齢期の障害児の放課後については枠外の事業としていく方向です。就学前だけのサービスとして、放課後の利用は市町村まかせにして切り捨てようという危険な動きでした。津村さんも当時の厚労省との懇談で打ち切りの方向にあることを感じとりました。
ここで日本共産党国会議員団「障害者の全面参加と平等推進委員会」(小池さんが責任者)が、自立支援法実施2カ月「実態調査にもとづく緊急要求」を発表(06年6月)。障害児の放課後保障にかけがえのない役割を果たしている児童デイサービスについては存続が各地で危ぶまれる事態にあることを明らかにし、継続を要求しました。直後に厚労省は学齢児童を中心にしたデイサービスが継続できるように基準要件を緩和したことを小池さんに報告(06年6月)。津村さんは「いまにつながっている学齢期の放課後型のデイサービスを守る上で、分岐点になったと思います」と語ります。
次の危機は06年10月からの障害者自立支援法の本格実施。就学前児童の7割以上の利用がない児童デイサービス(18歳まで)の報酬単価が切り下げられます。報酬単価の引き上げ、放課後活動に対応する国としての制度の確立を求め、「障害のある子どもの放課後保障全国連絡会」(全国放課後連)は要請や署名活動の取り組みを続けてきました。
加算が拡充
小池さんは08年1月、全国放課後連と懇談し、「報酬単価引き上げや今後のあり方を提案するなど、みなさんと協力してすすめたい」と運動を励まします。政府に対しては同年6月、児童デイサービスの報酬単価引き上げや新たな施策の展開などを求める質問主意書を提出。09年4月の報酬単価改定で児童デイサービスへの加算が拡充されました。
津村さんは、語ります。「放課後型のデイサービスが、なんとか頑張れば運営できるようになり、希望がみえてきました。京都でも新たな動きが起こっています。すべての党、議員に働きかけて運動してきましたが、小池さんはずっと一緒に頑張ってくれ頼もしい。自立支援法廃止と総合的な福祉制度の実現で、障害のある子どもと親・家族に『自己責任』をおしつける政治の流れを変えてほしい」
(2010年05月07日・しんぶん赤旗)