「いつでも元気 2009.9 No.215」より |
「日本はアメリカと、核兵器持ち込みの密約をむすび、外務省の担当者が代々受け継いできた」
日本の「非核三原則(核兵器をつくらず、持たず、持ち込ませず)」をゆるがす証言が飛び出しました。元外務次官で駐米大使もつとめた村田良平氏の証言です。
「密約文書を引き継いだ」
1973年から91年まで米海軍横須賀基地(神奈川県)を拠点としていた米空母ミッドウェー。核積載の疑惑が指摘されていた。83年1月佐世保港で=提供「赤旗」 |
1960年の日米安保条約改定時に、核兵器を積んだ米艦船の日本寄港や領海通過に「事前協議は必要なし」とする秘密合意を日米両政府は結んでいたのです。このことは、これまでも国会で取り上げられてきました。2000年には日本共産党の不破哲三委員長(当時)が具体的な証拠を示して追及。しかし小渕恵三首相は「見たことも聞いたこともない」と認めようとしませんでした。
核密約の存在は、米側公文書などですでに裏づけられていましたし、81年には元駐日大使のE・ライシャワー氏が、核兵器を搭載して日本の港に寄港することに日米政府が合意していたことを明らかにしていました。しかし日本政府は一貫して否定。今回、外務省の事務次官経験者が証言するのは初めてのことです。
村田氏は87年7月から約2年間、外務事務次官を務めました。村田氏によると、外務省で当時使っていた「事務用紙」1枚に記された日本語の密約文書を前任者から引き継ぎ、後任に渡したとのこと。村田氏は、当時の外務大臣に説明したことなど、リアルに証言しています。
「公表せよ」の声を逆手に
日本政府は、今回の村田証言を受けても「密約は存在しない。調査するつもりもない」(河村建夫官房長官)と無視するつもりのようです。
しかし、国民に対しては「密約はない。非核三原則は守られている」と説明しながら、アメリカとは秘密の約束を結んでいたことは、とても許されるものではありません。
密約をめぐるすべての事実を公表せよ。そして密約を廃棄せよ。このことを政府には求めたい。
しかも重大なのは、「密約」公開の声を逆手にとり、核持ち込みを公然と認めようという動きが始まっていることです。元防衛庁長官の中谷元自民党安全保障調査会長は、「密約ではなく、国民の合意」で「領海通過や寄港は容認すべきだ」と政府に求めました。山崎拓元防衛庁長官も、「容認すべきだ」とのべています。民主党の鳩山代表も非核三原則のうち「持ち込ませず」を廃止する「非核二原則」化を主張しています。
持ち込み容認の動き許さず
世界で核廃絶の気運が高まりはじめたときに、唯一の被爆国日本が核の持ち込みを容認するなど、とんでもありません。名実ともに「非核の日本」を実現しましょう。そうしてこそ、全世界に核兵器廃絶を呼びかけるイニシアチブを果たすことができ、北朝鮮にも「核開発やめよ」と強い立場でのぞむこともできます。
被爆六四周年の暑い夏、「核のない日本、核のないアジア、核のない世界」を誓いあいましょう。