「世直しドクター 東京駆ける 小池晃さんの実績」

「世直しドクター 東京駆ける 小池晃さんの実績」

雇用守る

派遣村で医療相談、国と交渉

大企業の違法正す

 来年の参院選で現職の小池晃政策委員長は比例代表から東京選挙区(定数5)に転出し、首都の議席奪還をめざします。テレビ討論などでおなじみ、党内きっての論客である小池さんの豊富な実績を紹介します。

 昨年末から今年1月5日まで開設された東京・日比谷派遣村に3日、小池晃さんの姿がありました。ニュースを見て「いても立ってもいられず」現地に足を運び、3日間にわたり医療相談に応じたほか、5日以降の宿泊場所や必要な手続きなどの対応を求めて厚労省当局と交渉しました。

派遣村の集会に参加する小池さん(左)と志位和夫委員長=1月4日、東京・日比谷公園

 派遣切りのショックで記憶をなくしてしまった若者、三日三晩食事抜きでめまいを訴える人...政治の貧困のしわよせに苦しむ人たちを目の当たりにした小池さん。「温かい食事と寝床が必要な人たちに政治がそれを提供できないのかと怒りに震えました」。自発的にボランティアに集まった人たちの連帯のすばらしさとともに、労働者首切りの元凶である財界・大企業と政治の責任は大きいと決意を新たにしました。

 日雇いなどで働きネットカフェで寝泊まりする「ネットカフェ難民」の問題をいち早く国会で取り上げたのが小池さんです。2007年3月の参院厚労委でみずから体験したネットカフェの写真パネルを示して派遣法改悪で急増した日雇い派遣の実態を紹介し、労働法制の規制緩和を見直すよう強調しました。

 自動車メーカー、マツダで多くの派遣労働者を最大3年の期間制限を超えて違法に働かせ解雇していた実態は2月、志位和夫委員長が衆院予算委で明らかにしたもの。直接雇用を求める労働者の申告に基づき労働局がマツダに是正指導を行いましたが、マツダは「法律違反はなかった」と開き直っていました。

 小池さんは6月の参院厚労委で「労働局の指導と違うことを、公然と記者会見で文書を配っている」と批判し、厳正な対処を求めました。舛添要一厚労相は「法違反があるから指導に入った。改善がなければ再び指導したい」と答弁し、その後7月にマツダは派遣労働者100人を直接雇用すると発表しました。労働者のたたかいと党の論戦が大企業の姿勢を改めさせた一歩前進の成果でした。

 「派遣村」の事態を生み出したのは、大企業が必要なときに労働力を調達し、いらなくなったら物のように切り捨てることを可能にした労働者派遣法の改悪です。ところが派遣法改正への世論と運動が強まるなか、派遣業界が法改正に反対する署名を、登録した派遣労働者に強制していたことが分かりました。

 小池さんは7月、労働者への強制をやめさせるよう厚労省に申し入れ、実態調査を約束させました。また日本人材派遣協会に赴き、派遣法改正反対の署名を労働者に強制しないよう要求しました。

安心の介護

内部文書暴露、新認定制度覆す

抜本改正実現に全力

必要な医療や介護が受けられる社会にと「年金者一揆」集会で訴える小池さん=10月15日、東京・日比谷野外音楽堂

 介護度を低く判定して必要な介護が受けられなくなると実施前から批判された介護保険の新要介護認定制度。厚労省は4月に強行実施したものの2週間足らずで事実上の凍結、3カ月余りで大幅見直しという異例の事態に追い込まれました。その決定打を放ったのが小池晃さんです。

 厚労省は新認定制度について「給付費を抑制する意図はない」と説明してきましたが、実施直後の4月2日の参院厚労委員会での小池さんの質問がこの強弁を覆しました。

 小池さんは介護給付費を減らした場合の効果を列挙し軽度の要支援を増やす方針が書かれた厚労省の内部文書を手に「介護切り」の中止を要求。他党議員から「すごい資料だ」と驚きの声があがり、舛添要一厚労相(当時)の表情が変わりました。「初めて見る紙なので...」と答弁に慌てぶりが表れました。

 調査を約束した厚労相はその後、文書の存在を認め、新制度検証の検討会設置と希望者に従来の介護度を維持する経過措置をとることになりました。

 検討会の検証の結果、要介護度の軽度化が明白になり新制度を大幅に修正せざるをえなくなりました。研究者から「あの質問が政府をここまで追い込んだのは間違いない」との声が寄せられました。

 日本共産党と小池さんは認定制度そのものを廃止し、必要な介護が受けられる抜本改正実現を求めています。

 介護保険制度は家族に重い負担となってきた介護を社会で支えることを目的に2000年から実施されました。しかし、国の公費支出を大幅に減らしたため高い保険料や利用料負担が国民にしわ寄せされ、介護基盤整備の遅れも深刻です。

 小池さんは安心して利用できる制度をめざし、国会質問で先頭にたってきました。保険料・利用料の負担軽減や介護サービスの充実・基盤整備、介護現場の労働条件改善、ケアプランの問題など大きな改善方向から具体的な課題まで取り上げてきました。介護保険シンポジウムや学習会のパネリストや講師として全国を回り、制度の抜本改正を求める運動と連帯しています。

 5月に開かれた介護保険の与野党討論会で小池さんは介護取り上げや「保険あって介護なし」の現状をただすため緊急に国負担を5%、思いやり予算とほぼ同じ3000億円増やし、さらに計画的に引き上げるよう主張。「米軍の思いやりより介護を受ける人への思いやりこそ求められる」と言い切りました。

医療

国保証取り上げるな社会保険病院存続

命守る政治が原点

党東京都委員会の後期医療廃止署名を前にあいさつする小池さん(左)、笠井亮衆院議員=11月16日、国会

 お年寄りを年齢で差別する世界に例を見ない後期高齢者医療制度。日本共産党は構想の当初から制度に反対し、廃止の論陣の先頭に立ってきました。

 9日の参院予算委員会で小池晃さんが鳩山政権に最初に求めたのは後期医療制度廃止の問題でした。民主党は後期医療廃止を総選挙で公約したのに、政権についたら?廃止には時間がかかる?と態度を変えたのはなぜか―。舌鋒(ぜっぽう)鋭い追及に「民主党はすぐ廃止すべきだ」「2年間も年金から天引きされるのはたまらない。差別したらあきません」とテレビで質問を見た人たちから感想が寄せられました。

 後期医療は1年以上保険料を滞納したら保険証を取り上げることができる容赦ない制度です。廃止法案の発議者だった小池さんは3月17日の参院厚労委で「高齢者からの保険証取り上げは命の危機に直結する。絶対に行うべきでない」と迫り、舛添要一厚労相から「しゃくし定規に期限がきたからと(いったん全額負担の)資格証明書を出すような冷たい扱いをしない」との答弁を引き出しました。

 払いたくても払えない高すぎる国保料(税)滞納を理由にした保険証取り上げが各地で深刻です。貧困と格差が広がるなか親が保険証を取り上げられて医療にかかれない無保険の子どもの問題がクローズアップされ、世論の批判が高まり昨年12月、中学生以下の子どもに短期保険証を一律に交付する改正国保法が成立しました。

 小池議員は1月、「子どもに限定せず保険証を交付すべきだ」と求める質問主意書を提出。政府は医療費の一時払いが困難だと市町村の窓口に申し出た場合、短期保険証を発行する初の答弁書を閣議決定しました。これにより国保料(税)滞納を理由とした保険証の機械的な取り上げに?待った?をかけることになりました。

 社会保険庁解体に伴い地域医療の一翼を担ってきた厚生年金病院・社会保険病院が売却されることになり、岐路に立たされました。小池さんは地域の運動と連携して社保病院存続の要請に同席し、国の責任で公的な医療機関として維持するよう求めてきました。新政権下で厚労省は公的存続に転換し、譲渡先が決まった病院はありません。

 医療現場を知る医師として病床の確保やワクチンの備蓄など新型インフルエンザ対策の充実にも早くから尽力してきました。「命を守る政治を」との初当選の原点をかみしめ3期目に挑みます。

福祉の充実

苦難の現場に姿あり

障害者、生保世帯、肝炎患者

障害者自立支援法の見直し方針について厚労省から説明を受ける小池さん(前列右端)、田村智子参院比例予定候補(同左端)=2月19日、国会

 国民の苦難軽減に力を尽くす立場で日本共産党が主張してきた課題が前進しつつあります。障害者自立支援法の応益負担廃止、生活保護の母子加算復活、肝炎患者救済...いずれの現場にも小池晃さんの姿がありました。

 生活に必要なサービスの利用に1割の重い負担をかける障害者自立支援法を強行した自公政権が退場し、新政権は支援法の廃止と新法制定を打ち出しました。制度発足を前に障害者団体が開いた2005年5月の集会で小池さんは、「法案は『自立阻害法』というべきもの」と法案にきっぱり反対を表明。4年以上、廃止をめざし障害者や家族とともに歩んできました。

 麻生政権が打ち出した自立支援法「見直し」をめぐり5月に開かれたフォーラムで小池さんは「政府は財源がないというが、政党助成金320億円を廃止すれば1割負担はなくせる。障害者に『自立』を強要せず、政党こそ『自立』すべきだ」と告発しました。

 国民の運動と結んだ党の国会内外の活動が自立支援法の廃止へと政治を動かしました。障害があっても真に人間らしく生きられる新法が求められます。

 生活保護の母子加算は、18歳までの子どもがいる母子・父子家庭の生活保護費に上乗せして支給されていたもので、05年4月から段階的に縮減され、今年4月に全廃されました。小池さんは国会で繰り返し復活を求め、通常国会に野党共同で提出した母子加算復活法案の発議者として答弁するなど復活へ全力をあげました。法案は6月26日の参院本会議で可決。政権交代で12月から全額復活することになりました。

 日本共産党は各地でたたかわれた生存権裁判を支援してきました。老齢加算について新政権は復活に背を向けていますが、復活を求める運動は続いています。生存権裁判の原告から「国会でいち早くとりあげてくれ、苦しい人の目線に立ち、市民のための政治を考えてくれる党」との声が寄せられました。

 「肝炎からがんを発症して仕事を失った」「治療費が半年で100万円、貯金も底をついた」...。集団予防接種の注射器使い回しでB型肝炎ウイルスに感染したとして全国9地裁で国に損害賠償を求める原告が1月、全国原告団を結成しました。薬害肝炎をめぐり国は全国の患者への賠償を拒否してきました。小池さんは患者の立場に寄り添い、国に謝罪と救済、支援法制定を求めて全党参加の協議会設置を働きかけるなど活動しました。

 全国で350万人にのぼる肝炎患者。患者原告団の要請に小池さんは「支援法は国の責任。超党派で実現めざして全力をあげる」と誓いました。

福祉の充実

苦難の現場に姿あり

障害者、生保世帯、肝炎患者

パネルを示して質問する小池さん=3月6日、参院予算委

 通常国会では準大手ゼネコン・西松建設の違法献金をめぐる疑惑が自民、民主双方に噴出しました。

 小沢一郎前代表(当時)の公設秘書が3月に政治資金規正法違反容疑で逮捕され、支持率低迷にあえぐ麻生政権にとって「反転攻勢」のきっかけになりました。民主党が「国策捜査」と小沢氏擁護に終始するなか、双方の疑惑を正面から追及したのが日本共産党でした。

 小池晃さんは3月6日の参院予算委員会で小沢氏と民主党に国民が納得する説明責任を求めるとともに、西松建設のダミー政治団体が自民党の二階俊博経産相(当時)のパーティー券を購入していた問題を追及しました。

 二階経産相が「承知していない」と答弁したのに対し、小池さんが「800万円ものパーティー券を買ってもらって『知らない』という説明では国民は納得できない」と、ただすと二階氏の答弁はしどろもどろに。パーティー券代の返却をいわざるを得なくなりました。

 ダミー団体を通じた西松マネーは自民、民主の政治家に渡っていました。小池さんは、公共事業を受注する企業から「税金が献金という形で政治家、政党に還流するのは許しがたい」と批判。問題の根源である企業・団体献金と政党助成金の廃止を要求しました。

 テレビで質問を見た人たちから「政党助成金をやめ、企業献金もやめろと論陣をはれる共産党はさすが」など党本部に多くの反響が寄せられました。

 日本共産党の論戦は「(自民、民主)両党が泥仕合を恐れてお互いの疑惑をまったく追及しようとしない」(朝日3月12日付)状況下で「国会を救った」(民主党議員)と評価されました。

 塩川鉄也衆院議員が20日の衆院内閣委員会で明らかにした官房機密費の問題は、政治家の背広やパーティー券の購入などずさんな使われ方をしてきたとして日本共産党が追及してきたもの。小池さんは21日の民放番組で、野党時代に機密費公表の法案を出した民主党の平野博文官房長官が使途を公表しないといっていることを批判し、使い道の公開を要求しました。

平和外交

イラク派兵法反対論陣

アフガン空爆で調査

世界に向け平和発信

原爆症認定集団訴訟の勝利を求めデモに参加する小池さん(前列右から2人目)=5月26日、千代田区

 高校生時代の1978年、戦争に備えるとして有事立法の問題が急浮上するなか、「平和のために何かをしたい」と真剣に考え民青同盟に加盟した小池さん。日本共産党被爆者問題委員会責任者として活動し、世界に向けて平和を発信しつづけてきました。

 原爆症認定を求め6年にわたる集団訴訟の全面解決に向け、原告全員を救済する基本方針を示した確認書が8月6日、日本原水爆被害者団体協議会と政府の間で交わされました。

 小池さんは各地の裁判で国が敗訴を重ね、国の救済責任が指摘されるたび「司法判断に従い、争いを長引かせるな」と要請してきました。早期決着を求める原告らの座り込み行動の激励に駆けつけ、国会質問で控訴・上告をやめよと政治決断を迫ってきました。

 政府は6月9日、18連敗となる東京高裁判決の最高裁への上告を断念。小池さんは同日の参院厚労委員会で司法判断に沿った認定基準改定を速やかに決断するよう厚労相に強く求めました。

 小池さんの初当選翌年の1999年の通常国会で自民、自由、公明3党が周辺事態法などガイドライン(日米軍事協力の指針)関連法案を強行しました。米国のアジア・太平洋地域の軍事行動に日本が自国防衛と無関係に参加・協力するため自治体や民間も含めて国ぐるみで参加する仕組みをつくるものだと日本共産党は法案阻止の先頭に立ちました。

 小池さんは99年5月20日の参院ガイドライン特別委員会で、法案に盛り込まれている兵たん支援は「武力行使」というのが国際的常識であることを詳細に論証しました。当時の外務省局長は後で「一番手ごわい質問だった」と小池さんにあいさつにきました。

 小泉内閣でイラク派兵法が強行された時にも反対の論陣を張りました。2003年7月17日の参院外交防衛委員会で小泉首相が開戦前に「イラクが大量破壊兵器を保有している」と断定したことを取り上げ、根拠と派兵法の廃止を要求しました。福田康夫官房長官(当時)は「あまりむちゃなことをいわないで」というだけで根拠を示せませんでした。

 米国は01年10月8日、テロの根絶を口実にアフガニスタンを空爆しました。小池さんは空爆後まもない隣国・パキスタンに日本共産党調査団の一員として急行し、空爆から逃れた難民の深刻な被害を現地調査しました。

 何の罪もなく空爆により負傷した子どもの姿。「こんな爆撃は絶対に許せない」と小池さんは帰国直後の11月14日の参院予算委員会で、負傷した子どもの写真をかざして質問し、小泉首相は「誠に痛ましい」と答弁せざるを得ませんでした。

(2009年11月24日~11月29日「しんぶん赤旗」連載より)