インタビューにこたえる小池晃副委員長
日本共産党は、夏の参院選で5人の比例代表候補全員の当選をめざしています。その一人、小池晃さん(党副委員長)は、東京と南関東(神奈川、千葉、山梨)を活動地域に奮闘する毎日です。生い立ちや党との出合い、医師として、参院議員としての活動、家族への思いについてインタビューしました(しんぶん赤旗より転載)。
1枚の写真に衝撃
1960年に東京都内で生まれ、ひばりが丘団地で育ちました。同じ時期に、不破哲三さん(社会科学研究所所長)も住んでおられたそうです。どこかですれ違っていたかもしれませんね。(笑い)
父親の勤めていた会社は転勤が多かったので、そこに住んでいたのは2歳まで。その後、神奈川県大和市、福岡市、東京都中野区と転々として、幼稚園のころに武蔵野市に移り、中学卒業まで過ごしました。
武蔵野市には当時、広大な米軍住宅がありました。僕が通っていた小学校校舎の建て替えの関係で、1年間、返還が決まったアメリカンスクールの校舎で勉強した経験があります。アメリカンスクールの施設はとても立派で、滑り台、ジャングルジムなどの遊具はすごく頑丈で立派なものでした。アメリカの学校は、なんでこんなにいい施設なんだろうって思ったことを、よく覚えています。
●学校の図書館で
小学生のころの小池さん
小学校の図書館の本で、石川文洋さんのベトナム戦争の写真を見た時のことは、いまも忘れられません。
米兵が、下半身を吹き飛ばされたベトナム人の死体を手に持っていました。たまたま本を見ていたら、その写真が目に入って、衝撃を受けました。
悲惨さ以上に、こんなことを平気でできる戦争って、いったいなんなのかを考えました。その日の夜は一晩中、眠れないくらいショックでした。戦争は絶対に許すことができないという強い思いを子どもながらに持ちました。
その後引っ越して、東京の高校には横浜市から通いました。リベラルな校風で、たとえば、倫理社会の夏休みの読書感想文の課題は小林多喜二の作品だったりしましたね。
そのころ、「ソ連が攻めてくるかもしれない」という口実で、有事立法制定の動きがありました。僕は、憲法9条がある限り日本は戦争をしないと思っていたけれども、このままでは戦争しかねないという問題意識、危機感をだんだんもつようになりました。
●戦争反対貫く党
両親から戦争の話を聞いたときは、「あの時は、みんな賛成したから仕方がなかった」と。しかし、民青同盟に入っている同級生から聞いて、戦争に反対して命がけで活動したのが日本共産党だということを初めて知りました。
民青同盟の活動に興味・関心が生まれたし、日本共産党のことも学んでみたいと思い、高校3年のときに民青同盟に入りました。
戦争反対が、僕の原点です。
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