5 年前に初当選して以来、一貫して医療問題に携わってきた小池さん。まだ 43 歳を迎えたばかりという「活きの良さ」に加え、現場の実態を知る医系議員として、政府の姿勢を常に厳しく追及している。答弁者が“絶叫調”の小泉純一郎首相ともなれば、批判の舌鋒はなお鋭さを増す。
その小池さんが、一般の人々にもよく知られるようになったのは、何といっても昨年 7 月の「宮路問題」からだろう。
共産党が偶然入手した資料を基に、厚生労働委員会で当時の宮路和明副大臣の医学部入試口利き疑惑を質し、不意を突かれた副大臣から「こうしたことは往々にしてある」との答弁を引き出した。これで健保法等改正案の審議は空転、副大臣は辞任に追い込まれた。
「何とか『 3 割負担を止めてくれ』という声に応えなければと思っていました。とにかく与党は強引でしたから。これで法案をストップできればと、その気持ちでいっぱいでしたね」と当時を振り返る。
社会保障の充実を掲げる共産党は、医療に関しては国費を多く、患者負担は少なく、診療報酬は手厚く、そして株式会社の参入には反対―とする立場。実質的に医師会の考えにかなり近い。しかし政党と団体の関係としては、両者の間には大きな隔たりがある。
この関係をどうみるか。「共産党を組織として支持してくれとは言いません。しかし今は、経済が右肩上がりの頃のように、自民党を支持して“おこぼれ”を期待する時代ではないと思います。これは医療に限らず、農業や中小企業などすべての分野でそう。今の自民党は、自分の足元をどんどん掘り下げる矛盾に陥っていると思いますね」と手厳しい。
一方で、医療を担当する人たちへの思いは強い。「いま、医療はやられっぱなしですよね。労働密度は過重で、患者の要求は多いし、医療事故も心配しなければいけない、開業医の先生も、一生懸命やっていても『金儲けのためだろう』という見られ方をする。しかし、日本の医療の質は決して悪くないと思います。これからはもっとゆとりをもって仕事ができるような仕組みにしたいですね」。
「とにかく戦争が嫌だった」と 18 歳で入党。学生時代は全国医学生自治会連絡会議(医学連連)委員長として、当時休止状態だった全日本医学生連合(医学連)の再建に奔走。このとき全国の大学にできた知り合いが、参院選挙の時に再び集まったという。
大学卒業後、プライマリケアの技術を身につけようと市中病院へ。専門は消化器内科だが、「中小病院に勤めていたので、ほとんど何でも診ていました」という。今も病院に籍を置き、時間が許せば診療することもある。
趣味は歌舞伎や映画を観ること。「歌舞伎は数年前にたまたま観に行って、『こんなに面白いものか』とハマりましたね。専門的な知識がなくても、やりとりを観ていて純粋に楽しめる。今でも年 3 〜 4 回は通っています」と相当の入れ込みよう。贔屓の役者を尋ねると、「中村勘九郎。天才だと思う」としみじみと語る。
邦美夫人と二人募らし。しかし 12 月には、新しい家族が増える予定である。