これきちっと公表していただきたいというふうに思います。
それから、今日、資料もお配りしておりまして、ちょっと少し資料がいろいろあるので説明に時間が掛かるかと思いますが、あっ、済みません、その前にちょっともう一点、どうしても主張しておきたいことがありまして、今度の法案でその給付金の支払は医薬品医療機器総合機構ということになっております。これは、単に事務的な作業を行うわけではなくて、病気が進展したような場合のその後の給付金を変更する、追加で支払うような場合のその認定も行うということになるというふうに聞いております。ところが、この医薬品医療機器総合機構の現在の理事長は宮島彰氏であります。正に、このC型肝炎の被害者リストが製薬企業から報告された際にそれを公表せず、地下室にしまい込み、今日に至るまで出てこなかったと、この原因をつくった人物なわけですね。その人が理事長の機構がこの給付金を支払うと、これほどの私、本当に問題はないと思うんです。
今日も、この場に来ていただきたいということで、私、要求したんです、理事長に答弁をと。ところが、理事会で合意が得られないということになりました。これ、極めて遺憾であります。私は、この法案がきちっと運営されていく上でも、あの方はその経過について何も公的な場所でしゃべっていないわけですから、そのことについて明らかにしないような人が機構のトップにいて、きちっとこの事業が行われるのかどうかというのは、私、重大問題だと思うんですよ。だから、これはきちんとこの場に来ていただいて、参考人なり、しっかり答弁求めてきちっと議論していきたいというふうに思っております。そのことは、参考人招致については改めて要求をしたいというふうに思います。
それから、責任問題で、製薬企業の問題についてちょっと資料をお配りしているので、ちょっとお話をしたいと思うんですが。
今日資料でお配りしたのは、一九六三年の日本産科婦人科学会雑誌に載っている乾燥ヒト血漿について私のおわびという論文であります。この論文を書いた人はどなたかといいますと、一番最後にありますが、株式会社日本ブラッドバンク専務取締役内藤良一。その後のミドリ十字の社長になっていく人物であります。これは、乾燥ヒト血漿についてその功罪と私の罪業ということで、自分がいかに誤っていたかというおわびの文章なんですね。
二枚目開いていただいて、真ん中の下の辺りに、乾燥ヒト血漿の肝炎発生率、非常に高いんだと、輸血後肝炎よりも高いんだということが書かれている。その上で、その右側に書かれているんですが、紫外線照射でやったんだと。ところが、紫外線照射というのは血漿の肝炎ウイルスを不活化するために完全であると信じられていたけれども、一九五八年にストルミア、これはアメリカの医学者ですが、この方がほとんど無効であるという判決、判決と書いてありますが、これは論文で明確に判断をしたということが書いてあるんですね。その下には、日本で乾燥ヒト血漿による肝炎災害がどのくらいあるかということについて試算までして、五%が肝炎にかかったと仮定すると毎年およそ五千人で、死亡率一%と見ても過ぐる十年の間に五百人の死を招いたというふうに言っているわけですよ。彼は昭和十五年、これをアメリカで学んで帰って導入した張本人として、その罪業の深さを痛感するものでありますと。これ、ちなみに一九六三年なんですね。そのときにこう書いている。
ところが、四枚目見てください。一九六四年にフィブリノーゲンが認可されます。フィブリノーゲン―BBank、これが最初です。このときの添付文書に何と書いてあるかというと、右のところに矢印付けておきましたが、フィブリノーゲン―BBankは紫外線照射を施してあるが、これは完全不活化を信頼することができないと。要するに、内藤良一氏というのは、紫外線照射はほとんど無効だという論文を書いて、大変申し訳なかったというふうに言った翌年に、正に紫外線照射による製剤を堂々と売り出し、ほとんど無効だと言っていたのを完全不活化を信頼することができないなどと書き換え、それでこの薬を世に出していったということなわけですね。
私、これは、薬事法の第五十九条というのは、病原微生物によって汚染された医薬品は販売してはならない、正に薬事法違反じゃないかというふうに思うんですよ。
だから、先ほどから新薬というのは危険性があるからいろんな責任生じるというけれども、そういう一般論ではないんだと、これは。正に明々白々、危険だということを承知の上でその翌年にその処理方法による製剤を生み出したというのが正にこのフィブリノーゲンであったわけなんですね。
あるいは、クリスマシンについても、これ第\因子についてはコーナインという薬が当初あって、これは先天性疾患だけ適応申請をしていたんですよ。ところが、クリスマシンに切り替えるときには臨床成績資料も出さずに後天性疾患まで広げてやったわけですね。ここでも製薬企業の責任は私は余りにも明白であるというふうに思うんです。
最後、資料のところにミドリ十字三十年史を載せました。ここで何を書いてあるかというと、要するに、一九六〇年ごろから日本の売血に対する国際的な批判が高まっていった。いわゆる黄色い血の問題であります。昭和三十五年八月に国際輸血学会が開かれて強く批判されたと、社会問題化したというふうに書いてあります。
最後のページ。首脳陣の英断というところがありまして、ここで逆境に直面した首脳陣はひるまなかった。創業当初の苦難を克服したあの不屈の企業精神が生きていた。それは銀行血部門、要するに売血の問題を可及的速やかに撤廃し、医薬品部門の拡大に総力を傾け、併せて社名変更、日本ブラッドバンクからミドリ十字に変えて、そして血液製剤を中心とした医薬品メーカーとして大きく脱皮し、この当面の苦難を乗り切ることになった経営の大転換をした。正にそれを乗り切るための最大の商品として売り出したのがフィブリノーゲンであった、こういう経過なんですよ。
大臣、この問題でいまだにミドリ十字を引き継ぐ田辺三菱製薬が謝罪もしていない、責任も認めていない。これ私、余りにもひど過ぎる話ではないかというふうに思っておりますし、やはりこうした経過を振り返れば企業の責任は明白ではないかと、大臣、これ企業の責任明確じゃないかと思いますが、いかがですか。