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薬害肝炎
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被害予測をしていたのは、旧ミドリ十字の内藤良一会長(故人)です。当時は「日本ブラッドバンク」の専務取締役でした。
内藤氏は『日本産科婦人科学会雑誌』一九六三年九月号で、「私のお詫(わ)び」と題して肝炎被害を出した謝罪文を載せました。
「お詫び」では、「(血液製剤製造の技術を導入した)張本人として、その罪業(ざいごう)の深さを痛感する」とのべています。
さらに、血液製剤による肝炎発生率は「4.5%―11.9%」となり、輸血による肝炎発生率より高率であること、死亡率も「0.2%―6.8%と決して軽視」できないと指摘。紫外線照射しても肝炎ウイルスは死滅せずに「ほとんど無効」と分析しています。さらに、「毎年五千人の肝炎患者を出し、その死亡率を1%と見ても十年間に五百人の死亡を招く」と述べています。
ところが同社は、「お詫び」を出して一年もしない六四年六月、「ほとんど無効」と分析していた「紫外線照射」をしただけのフィブリノゲン製剤を製造承認を受けて販売。予測をはるかに上回る感染被害をだしたのです。
小池議員は「病原微生物に汚染されている恐れがある医薬品の販売を禁止した薬事法に違反した犯罪」と糾弾。「真摯(しんし)な謝罪と損害賠償の責任は免れない」として加害企業の責任を国として明確に迫ることを求めました。
舛添要一厚生労働大臣は「きちんと責任を取らせて、救済についても応分に果たしてもらう。全面的に取り組む」と答弁しました。
旧ミドリ十字の内藤良一会長 関東軍防疫給水部七三一部隊に所属。同部隊の石井四郎中将の右腕として、国際法違反の生物兵器の使用や、中国東北部(旧満州)での捕虜などに対する人体実験にかかわりました。戦後、七三一部隊のメンバーとともに「日本ブラッドバンク」社を設立。一九六四年、社名をミドリ十字に変えて、会長になりました。
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