私は、日本共産党を代表して、健康保険法及び医療法の一部改正案に対し、反対の討論を行います。
委員会の運営というのは全体の合意で行うべきものであり、それは議会制民主主義の最低限のルールであるというふうに思います。多数をもって押し切るというやり方は、議会の自殺行為であるというふうに言わざるを得ません。
今日の審議でも問題点は次々と出されました。理事会では、与党の理事からも欠点のある法案だという発言もありました。そういう中で多数で強行するということは本当に許し難いことで、怒りを込めて私、抗議をしたいというふうに思います。
先ほど与党の議員は、世界一の医療だというふうに誇られましたが、その医療をつくったのは自民党でも公明党でもありません。それをつくったのは患者さんであり、医療従事者であり、国民であります。正にその努力をぶち壊そうとしているのがこの法案であり、このままでは子や孫にぼろぼろになった医療制度、ぼろぼろになった医療保険制度を引き継ぐことになってしまうのではないでしょうか。
本法案は、具体的には高齢者や重症患者に情け容赦ない負担を強いる、そして後期高齢者医療制度という差別医療の仕組み、療養病床の大幅削減など、二十一世紀の日本の医療を大きくゆがめるものであります。さらに、混合診療の拡大によって、保険証一枚あればだれでもどんな病気でも診てもらえる日本の医療制度の根幹を揺るがす法案であると言わざるを得ません。
多くの問題点が指摘されたにもかかわらず、いまだに、一度たりとも政府から納得の得られる説明はされていないと思います。与党の議員の質問に対してもまともな答弁はなかった。最後まで納得のいく説明はなかったというふうに言わざるを得ません。このような段階で審議を打ち切り、採決を行うことは、繰り返しますが、国会の責任放棄以外の何物でもないということを申し上げたいと思います。
本法案に反対する第一の理由は、患者、高齢者の負担増の深刻さです。
今年度の患者負担増は、平年度ベースで千七百億円であり、今回の改悪法案に盛り込まれた負担増がすべて実現される、実施される〇八年度には二千九百億円に上ります。七十歳から七十四歳までの患者負担の一割から二割への引上げ分だけで年間千二百億円、一人当たり年間二万円もの負担増です。
療養病床の居住費、食費の徴収、高額療養費の自己負担額の引上げも、入院患者、重症患者に重くのし掛かるもので到底容認できません。
医療費の負担増は、受診抑制を招き、深刻な健康被害をもたらします。しかし、川崎厚生労働大臣は、必要な医療は妨げられないと繰り返すだけで、その根拠は全く示されませんでした。
反対する第二の理由は、七十五歳以上の高齢者を対象とした後期高齢者医療制度の創設が、保険料負担増とともに、高齢者への差別医療をもたらすものであるからです。
新制度では、七十五歳以上のすべての高齢者から保険料を徴収し、滞納者から保険証を取り上げることまで法定化しています。現役世代の保険料を現役向けと高齢者向けに明示的に区分することと相まって、介護保険と同様の給付抑制につながるものです。
しかも、後期高齢者の心身の特性等にふさわしい医療が提供できるよう、新たな診療報酬体系を構築するとしています。この点について、川崎大臣が差別医療となる可能性を否定しなかったことも重大です。
後期高齢者医療制度の創設は、六十五歳以上の透析患者などの障害者、あるいは高齢者への医療給付費を抑制し、憲法違反の差別医療をもたらすものであり、断じて認めることはできません。
反対の第三の理由は、療養病床を六年間で二十三万床も削減することが地域の医療と介護に深刻な打撃となることです。
先ほど切れ目なく医療を提供するとおっしゃいましたが、正に切れ目だらけ、ばらばらに地域の医療が切断されてしまうのではないでしょうか。
先取りとして七月からの診療報酬の改定で、療養病床の入院患者の半数を医療の必要性が低いと決め付けて、点数を大幅に引き下げ、文字どおり病院から追い出そうとしており、事態は切迫しております。
厚労省は、療養病床に入院している人の半分以上に医療の必要性がないと言いますが、審議を通じてその根拠に合理性がないことも明らかになりました。これは与党の議員も指摘をしています。
療養病床の削減について、昨日の北海道での地方公聴会で、与党推薦の公述人からも、病床が更に少なくなるのは大変な苦しみだ、病床が廃止されても在宅に戻れない人が多いのが現実だ、まず受皿づくりだと懸念の声が出されました。こうした声を直接聞いておきながら法案を通してしまう、これこそ正に無責任なのではないでしょうか。
反対の第四の理由は、混合診療の本格的導入によって保険の利かない医療が拡大し、所得の格差が治療の格差、命の格差となる危険を一層拡大させるからです。
保険の利く診療と保険の利かない診療を併用する混合診療は、必要な医療はすべて保険で行うという公的保険の大原則を崩すものです。
しかも、この背景には、自分たちの保険料負担を軽減させたいという日本の大企業、財界と、日本の医療を新たなもうけ口にしようとねらっているアメリカの保険会社、医療業界の強い要求があることは、大臣も審議の中で米国からいろいろ言ってきたことは事実と認めたとおりであります。なぜ日米の保険会社や医療産業のもうけのために国民の命や健康、国民皆保険制度が犠牲にならなければならないのか、余りにも理不尽であります。
反対理由の第五は、健診の在り方を大きく変質させるからです。
現在は老人保健制度に基づき、市町村が住民の健診に責任を持っていますが、この制度をなくし、健保組合など各保険者に健診が義務付けられます。健診を積極的に行うこと自体は必要ですが、市町村の責任をなくすことは公衆衛生の観点から見て問題です。
健診の実施率や効果に応じて七十五歳以上の後期高齢者制度に出す負担金の額に格差を付ける、健診率の低いところはペナルティーとして増額する、これは全く筋違いの話であり、行く行くは、健診を受けなければ病気になったのは自己責任だと言われ、保険で見ないということにもつながりかねません。
さらに、政管健保については、保険料を引き上げる仕組みを盛り込んだ上、強制保険である政管健保を、公法人と称する民間に運営をゆだねることは、国の責任の後退にほかなりません。このようなやり方は、社会保険庁の改革とは無縁であり、容認できないということも申し上げておきたいと思います。
法案の前提となる医療費の将来推計についても、医療費の伸び率に極めて恣意的な補正が行われており、伸び率の期間の取り方も併せて過大な推計であると言わざるを得ません。法案の前提が完全に崩れていると申し上げたいと思います。
最後に、すべての国民は貧富にかかわりなく医療を受ける権利を持っており、国はその権利を保障する義務を負うべきです。そのためにも、窓口負担の引上げをやめ、引き下げる。保険診療が可能な医療を狭めるのではなく、充実させる。削減されてきた国庫負担を計画的に元に戻す。この立場に立って、日本の医療を立て直すことこそ今強く求められているということを指摘をして、私の反対討論を終わります。