小泉内閣が国会に提出した「医療制度改革」法案は、国民に新たな負担増をおしつけるとともに、保険の使えない医療を大幅に拡大する、大改悪の内容となっています。
いま格差社会と貧困の広がりが大問題になっています。この間、介護も、年金も切捨てがつづいたうえ、増税がおしつけられ、そのうえこんな医療改悪を許したらどうなるでしょう。お金の払えない人は公的医療から排除され、「所得の格差」が「命の格差」に直結する社会となってしまいます。
公的医療制度を土台から解体し、“人の命もカネしだい”にしてしまう医療大改悪を阻止するため、ともに力をあわせることをよびかけます。
窓口負担増、保険料引き上げ、病院追い出し―国民から医療をうばう大改悪
今回の医療大改悪の第一の特徴は、高齢者・重症患者への情け容赦ない負担増と医療の切り捨てにあります。
外来でも入院でも、医療費の大幅値上げが目白押しです。今年十月から、七〇歳以上の「現役並み所得者」の窓口負担が、現行の二割から三割へと引き上げられ、〇八年四月には、七〇〜七四歳のすべての人の窓口負担が、一割から二割へと値上げにされようとしています。
入院では、今年十月から、療養病床に入院する人(七〇歳以上)の食費・居住費が保険適用外になり、長期入院患者(住民税課税)の入院費は月三万円もの値上げで九万円になります。〇八年四月からは六五〜六九歳にも拡大され、その場合の一カ月の入院費は十三万円をこえてしまいます。
高齢者だけではありません。入院や手術で医療費が高額になったときの「高額療養費制度」でも患者負担が増額されます。人工透析の月額負担も、一定所得以上の人は負担が二倍になります。重い病気に苦しむ人に、さらに苦痛を押しつける非情なものです。
保険料の値上げと「年金天引き」も実施されます。二〇〇八年四月から、家族に扶養されている人を含めて、七五歳以上のすべての人が新しい「高齢者医療制度」に組み込まれ、平均で年間六万円の医療保険料が徴収されます。しかも、介護保険料とあわせて年金から「天引き」されるのです。「年金天引き」は、六十五歳以上の国保加入者にも適用されます。保険料は厳しく取り立てながら、窓口負担増で医療機関の敷居を高くする、これでは所得の少ない人は、「保険あって医療なし」となってしまいます。
高齢者の病院からの追い出しも、療養病床の大幅な削減で、さらに大規模に行われます。長期療養者を対象とする療養病床は三八万床ありますが、政府は、今後六年間で二十三万人分ものベッドを削減するとしています。「医療の必要が低い社会的入院」の患者を退院させるのだといいますが、これらの患者の多くは病状の変化に対応した医療を必要としています。だいたい「社会的入院」については、政府自身が「受け入れ条件がないために退院が不可能な人たち」と説明してきたものです。特養老人ホームへの待機者が三四万人を超えているいま、病院を追い出し、いったいどこに行けというのでしょうか。
政府・与党は、これらの改悪を正当化するため「高齢者と現役世代との公平」といっています。しかし、病気は公平にやってきません。病気にかかりやすく、治療にも時間がかかる高齢者の負担は、現役世代より低く抑えることこそ公平です。高齢者と現役世代を「対立」させ、お年寄りに「肩身の狭い」思いをさせて、必要な医療を受けられなくする―こんな卑劣なやり方を許してはなりません。
患者負担を増やして受診を抑制することは、病気の早期発見・早期治療を妨げて重症化させ、かえって医療費増大をまねきます。負担増と切り捨ては、国民の健康を破壊するだけで「医療費抑制」にも役立たない、最悪のやり方です。
保険でかかれる医療を切り縮め、公的医療制度の土台を解体する
政府の医療改悪の第二の特徴は、「保険証一枚」でかかれる医療を切り縮め、保険の効かない、全額患者負担の医療を大幅に拡大し、高い医療費を払えない人は、満足な治療も受けられないという方向に日本の医療を大きく変質させてしまうことにあります。
昨年十二月に政府・与党が合意した「医療制度改革大綱」は、「医療費適正化」のために「医療給付費の伸び」を「経済指標」にあわせて抑制すること、そのために「公的保険給付の内容・範囲を見直す」としました。
そのために、「必要な医療はすべて保険でおこなう」という公的保険の原則を崩し、保険外診療と保険診療の併用を認める「混合診療」の本格的な導入がすすめられようとしています。高額な医療費を請求される「混合診療」は、これまで「差額ベッド代」など、例外的にしか認められていませんでしたが、これを「高度医療技術その他」「生活療養」などに拡大するというのです。これが実行されれば、新しい医療技術や新薬を利用したり、手厚い治療を受けられるのは、お金のある人だけとなり、そうでない人は保険医療だけでガマンするという「治療の格差」「命の格差」をつくり出してしまいます。
政府や財界は、今回の改悪案にとどまらず、医療費の一定額(たとえば外来受診1回当たり千円)までを保険の対象からはずし、その分を全額自己負担にするという「保険免責」制度の導入も強く主張しています。こうなれば風邪などの「軽い病気」の治療は保険の対象外になってしまいます。
保険証をもって病院にいっても、「重い病気」は保険では間に合わない、「軽い病気」には保険が効かない―こんな医療にしてよいのでしょうか。
今回の「医療改革」では、診療報酬の過去最大の引き下げ(三・一六%)も打ち出されています。診療報酬には、医師以外の看護師など医療スタッフの技術料がほとんど評価されないなど、改善すべき問題が多くあります。政府の引き下げ案は、これらの問題には手をつけず、人工透析の夜間・休日利用の報酬を削減するなど、医療の質を低下させる危険が大きいものです。しかも、政府の診療報酬の引き下げのねらいには、保険診療を貧弱にし、保険外診療の導入を促すことがあります。保険診療だけでがんばる医療機関は経営困難におちいり、保険外の高額診療をやるほど利益があがる―これこそ、「もうけ本位」の医療をいっそう拡大する道ではないでしょうか。
「持続可能な医療制度」どころか、命と健康をまもる医療の分野にまで“営利優先・弱肉強食”を持ち込み、国民皆保険、公的医療制度を土台から破壊・解体する、こんな暴挙は、許すことができません。
日本の財界とアメリカの保険会社・医療業界の儲け口の拡大が目的
小泉内閣の医療大改悪の背景には、自分たちの保険料負担を軽減させたいという、日本の大企業・財界と、日本の医療を新たな儲け口にしようとねらっているアメリカの保険会社、医療業界の強い要求があります。
日本経団連は「(医療の)給付費の増加を抑えるために…保険外サービスと保険サービスの併用を進めるべきである」(「財政の持続可能性確保に関する提言」〇四年十二月十四日)と、「混合診療」の全面解禁を強くもとめています。企業の保険料負担・人件費を抑制できるからです。しかし、日本の企業の税金と社会保険料の負担は、ヨーロッパ諸国の六〜八割程度にすぎません。企業の社会的責任も果たさずに、国民に「自己責任」を強要するのは、あまりにも身勝手です。
アメリカ系保険会社などの「民間の医療保険に入れば安心」というテレビCMが目立ちます。保険外診療を増やし、窓口負担を重くして、公的保険だけでは安心できないというところに国民をおいたてて、自分たちの新しい儲け口にしようというのです。二〇〇一年の小泉首相とブッシュ大統領の合意で設置された「投資イニシアチブ」の「報告書」(〇五年七月六日発表)には、「混合診療の解禁」や「営利企業による医療サービスの提供」という米側の要請が明記されています。さらに、「世界最先端」だと自慢しているアメリカの医療業界も、日本の医療を市場として狙い、「対日圧力」を強めています。
日米財界の要求にいいなりになって、小泉流の「官から民へ」「小さな政府」を医療にまで持ち込んだらどうなるのでしょうか。それは全国民を対象とする公的医療保険がなく、営利企業による病院経営がまかりとおる、アメリカの実態を見ればよくわかります。アメリカでは、扶助を受ける「貧困者」と高齢者にしか、公的医療制度はなく、「貧困者」と認定されず、民間保険を購入できない人は無保険者になってしまいます。その数は四千八百万人(国民の一七%)に達するとされ、「保険がないために、健康を害して死亡する人」が毎年一万八千人もいます(全米アカデミー試算)。病院は、未払い治療費の回収に「取立て会社」を活用し、医療費による自己破産は、「クレジットカード負債」に次ぐ第二位です。アメリカの経済に占める医療費(GDP比)は世界一高い水準で日本の二倍であるにもかかわらず、平均寿命、新生児死亡率は世界で最悪レベルです。儲け第一主義の医療制度は、国民の命と健康を壊すだけで、効率的な医療にもつながらないのです。こんなアメリカ型医療を日本におしつける動きは、絶対にごめんです。
すべての人が安心してかかれる医療のために―三つの提案
すべての国民は、貧富の格差にかかわりなく、医療を受ける権利を持っている、国はその権利を保障する義務を負う、これが憲法二五条の精神です。この精神にそって日本の医療を立て直すことこそ、いま求められます。
日本共産党は、だれもが安心してかかれる公的医療制度の建て直しのために、つぎの三つの提案をかかげ、国民のみなさんに対話と共同をよびかけます。
(1)窓口負担の引き上げに反対し、引き下げを求める。
政府や財界は、このまま医療費が増大すれば、経済も財政も破たんすると国民を脅しています。しかし、日本の医療費はGDP比で七・九%と先進国三〇カ国中一七位で、アメリカの一四・六%、ドイツ一〇・九%、フランス九・七%などと比べても低い水準です。(OECD(経済開発協力機構)の調査)。
逆に日本で突出しているのは、患者の窓口負担の重さです。公的医療保険における窓口負担割合は、日本の十六・一%に対し、イギリス二・〇%、ドイツ六・〇%、フランス一一・二%などです。窓口負担は値上げではなく、引き下げこそ必要です。
(2)保険診療が可能な医療を狭めるのではなく、充実させる。
すでに高い保険料や窓口負担によって、必要な医療が受けられないという状態が深刻になっています。そのうえ「混合診療」を拡大して、保険診療が可能な医療を狭めていくことには強く反対します。
国保料の滞納が四七〇万世帯に及び、国保証の取り上げは五年間で三・三倍の三十二万世帯にもなり、保険証を取り上げられたために医療を受けられず命を落とすという悲惨な事態が生まれています。無慈悲な保険証とりあげ政策をただすことを求めます。行き場のない多数の高齢者をつくり出すベット削減に反対します。
「保険証一枚」で、どんな病気でも、だれでも、安心して医療機関にかかることができる社会にしていこうではありませんか。
(3)削減されてきた国庫負担を計画的に元に戻す。
医療費の値上げや高すぎる国保料の元凶には、医療への国庫負担率の引き下げがあります。国民健康保険の総収入(退職者医療を含む)に占める国庫支出金は、一九八〇年度の五七・五%から二〇〇三年度の三五%に激減しています。政管健保でも国庫補助率が一六・四%から一三%に減らされたままです。
これを計画的に元に戻していくべきです。その財源は、庶民への増税でなく、巨大開発など公共事業や軍事費などのムダづかいを一掃し、史上最高の利益を上げ続けている大企業や、大資産家に応分の負担を求めることでまかなえます。また、高すぎる薬価や医療機器にメスをいれれば、ここでも財源は生まれます。
医療大改悪反対の一点で、国民的な共同を広げましょう
いま医療大改悪にたいして、多くの医療団体、患者団体、労働組合、市民団体などから、政治的立場をこえて、強い批判の声があがっています。医療大改悪反対の一点で国民的共同を広げ、社会的連帯の力で、この暴挙をはね返そうではありませんか。
「小さな政府」の名で、人の命や国民の健康に対する国の責任を放棄する政治、「官から民へ」のかけ声で公的保険を壊し、医療までも日米財界の食い物にする政治をただし、国民の命と健康をまもろうではありませんか。