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日本共産党参議院議員・医師 小池晃 アーカイブ[〜2008] 日本共産党参議院議員・医師 小池晃 アーカイブ[〜2008] 日本共産党参議院議員・医師 小池晃 アーカイブ[〜2008]

こんにちは小池晃です

東京大空襲とイラク、アフガン

「しんぶん赤旗」(東京、南関東版)より転載

 先日、NHK で古いドキュメンタリー番組の再放送がありました。テーマは「東京大空襲」。偶然見たのですが、最後まで画面に釘付けになってしまいました。

 空襲を命令した米軍のカーチス・ルメイ少将は「低空から焼夷(しょうい)弾を投下し、木造家屋ばかりの東京の下町を焼きつくせ」と指示します。そして一九四五年三月九日の深夜から十日にかけて、各機平均六トン以上の焼夷弾を搭載した三百四十四機の B29 の大群が、房総半島沖合から低高度で東京の下町に侵入。墨田区、江東区、中央区、台東区などの四カ所のポイントを結んで、その周囲にナパーム弾を投下して火の壁をつくり、住民を猛火の中に閉じ込めて退路を断ちます。

 その後百万発の焼夷弾を投下して、東京の下町を文字通りの業火で焼きつくしたのです。

 東部軍管区司令部は米軍機の侵入を察知しながら、「天皇を起こさないように」との配慮から、空襲警報を発令したのは爆弾が投下された後。それから二時間半、無差別爆撃が続いたのです。

 翌朝の東京の惨状は身の毛もよだつほどでした。「道を歩くとあちらこちらに黒こげの死体が。まるでマネキン人形のようだった」という空襲体験者の証言が生々しく流れ、逃げ遅れた親子の死体が映し出されます。思わず息をのみました。

 隅田川にもおびただしい死者の姿。「運河で死体を処理しても処理しても浮かび上がってくる。まるで永遠に続くのではないかと思われた」という証言。そして犠牲者は十万人をこえたのです。

 カーチス・ルメイ少将は、非戦闘員を狙った明らかな無差別爆撃だとの批判に、戦後の回想記の中でこう語っています。「私は日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊していたのだ。日本の都市の民家は全て軍需工場だった。民家の一軒一軒が、全て我々を攻撃する武器の工場になっていたのだ。これをやっつけて何が悪いのか…。」

 そのルメイ氏に、日本政府は六四年、「航空自衛隊の育成に協力した」との理由で、勲一等旭日大綬章を贈りました。

 かつて東京を焼きつくした米軍は、イラクやアフガンの空爆でも同じような「論理」を振りかざし、日本政府はそれを真っ先に支持しました。断じて許せません。

 三月十日の東京大空襲慰霊祭。私は式典に出席して、二度と再びこのようなことを起こさせまいと、心に誓ったのです。

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