薬害C型肝炎問題を通じて、いろんな問題が見えてきます。
「薬害C型肝炎」は、C型肝炎ウイルスに汚染された血液製剤「フィブリノゲン」や「クリスマシン」を投与されて感染した被害です。東洋大学の片平洌彦教授は、フィブリノゲンによるC型肝炎感染者は約3万人と推定。過去最大の薬害といわれたスモンの推定1万人をはるかにこえます。また裁判に訴えた方の89%が「今後の生活について経済面での不安を感じる」と答えています。
危険わかってから販売増
こうした被害者の救済はもちろんですが、国と製薬企業の責任をあいまいにすることは許されません。
じつは被害を食い止めるチャンスが今までに何度もあったのです。
最大の被害を生んだ「フィブリノーゲン」は1964年に承認され、71年には医薬品の「再評価」が始まります。本来ならこの対象になるはずだったのですが、76年に「フィブリノゲン」と1文字変えて新規承認されたため、再評価をかいくぐります。
73年にはアメリカ医師会が肝炎発症の危険性を指摘。同じ年に旧厚生省薬務局が監修した本の中でも、肝炎感染の危険性が指摘されていました。そして77年には、アメリカで承認が取り消されたのです。
にもかかわらず、日本ではその後も使用が続きました。それどころか、使用量は60年代が年間1万6千本程度だったのに、ぐんぐん増えて、76年以降は6万2千本にまで達します。
なぜこんなことが起きたのか。
旧ミドリ十字と厚生官僚
フィブリノゲンを販売したのは旧ミドリ十字(現田辺三菱製薬)。創始者が、中国侵略戦争の中で非道な人体実験をした旧陸軍七三一部隊の出身者だったことで有名です。
戦後は「売血」で利益をあげていたのですが、64年の「ライシャワー事件」をきっかけに売血が禁止され、「起死回生の商品」として売り出されたのがフィブリノーゲンでした。
しかも厚生省とのがんじがらめの癒着です。旧厚生省の薬務局長だった松下廉蔵氏が74年にミドリ十字に天下り、その後社長になります。これではまともなチェックなど、できるはずがありません。
86年には青森県でフィブリノゲンによる肝炎の集団発生が起こり、マスコミも取り上げます。このときにミドリ十字側で対策にあたった東京支社長も、旧厚生省の課長補佐の天下り。厚生省とミドリ十字は結託して情報を抑え込んだのです。
製薬企業が多額の政治献金
そして政治家への献金も。旧ミドリ十字は、自民党の政治資金団体の国民政治協会に毎年数百万円から1千万円を超える多額の政治献金をしていました。田辺三菱製薬など製薬企業が設立した「製薬産業政治連盟」は、いまも自民党、民主党、公明党への政治献金を続けています。
政官業の癒着をキッパリ断たなければ、また同じような事件が起きる。そんなことは絶対に許せません。
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