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「いつでも元気 2006.10 No.180」より |
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この夏、重い言葉と、あまりにも軽い言葉に出会いました。重かったのは『オシムの言葉』(木村元彦著、集英社)、一方、軽かったのは『美しい国へ』(安倍晋三著、文春新書)です。
含蓄あるオシムの言葉
サッカー日本代表監督になったイビツァ・オシム氏は、決して強豪ではなかったJリーグのジェフ千葉を、優勝争いに加わるチームに育て上げたことで知られています。
「本当に強いチームというのは夢を見るのではなく、できることをやるものだ」
「作り上げることは難しい。でも作り上げることの方がいい人生だと思いませんか?」
記者会見でのユーモアと含蓄にあふれる言葉は、「オシム語録」としてインターネットでも話題になっています。
旧ユーゴスラビアのサラエボ出身のオシムは、隣人同士が殺し合うすさまじい内戦のサラエボに妻子を残して、ユーゴ代表監督を続けなければなりませんでした。民族対立から、選手が一人、また一人と去り、ついにオシムも去ります。
その経験を問われて、「そういうものから学べたとするなら、それが必要になってしまう。そういう戦争が…」と。さらに、メディアが民族対立をあおったユーゴ戦争の経験について、「新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば、世の中を危険な方向に導けるのだから」と語ります。
憲法9条はわび証文?
かたや、本当に危険な方向に導こうとする政治家が書いたのが『美しい国へ』。軽すぎる言葉に満ちあふれています。
不戦の誓いをうたいあげた日本国憲法前文を「わび証文」と切り捨て、9条を変えて集団的自衛権の行使を可能にすることを呼びかける。しかし問題はそれだけではありません。
社会保障の問題でも、あまりにもデタラメな話ばかり。たとえば年金というのは「集めたお金を貯めて配るというシステムだ。だから加入しているみんなが『破たんさせない』という意志さえ持てば破たんしない」
そんなに簡単なんでしょうか?
国の役割は一体どこへ
「年金は、戦争ですべてを失った国民を救うためにはじまった」
年金制度ができたのは太平洋戦争が始まった一九四一年。戦争の費用を調達するためだったというのが常識ではありませんか?
「介護保険制度とは、ひとことでいうと、『介護が必要であると認定された高齢者が、介護サービスを買い、その代金の一部を保険でまかなう』という制度である」
国の役割はいったいどこへ?
もう一度、オシムの言葉です。
「レーニンは『勉強して、勉強して、勉強しろ』と言った。私は選手に『走って、走って、走れ』と言っている」
いよいよこの秋、あまりにも軽く、危険な言葉の持ち主と「勉強して、走って、たたかう」決意です。
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