赤旗2019年3月10日付
推計10万人以上が犠牲になった太平洋戦争中の東京大空襲から74年となるのを前に9日、東京都台東区の上野公園にある追悼の碑と母子像の前で「時忘れじの集い」が開かれました。遺族や市民のほか、地元の小学生や幼稚園児など約1500人が出席しました。
1945年3月10日未明に始まった空襲では、米軍のB29爆撃機約300機が東京下町の人口密集地に集中して焼夷(しょうい)弾などを投下。非戦闘員を標的とした無差別攻撃で、犠牲者の多くは一般市民でした。
追悼の碑と母子像は、この空襲で両親ら家族6人を失ったエッセイストの海老名香葉子さんが、有志と2005年に建立。「集い」は海老名さんの呼びかけで開催、今年で15周年を迎えました。
海老名さんは「70年たっても亡くなった人たちの面影は消えない。父と母のことを思うと父ちゃん、母ちゃんと子どもに戻る。戦争は本当につらいこと。戦争をみんなの手でやめるようにするのが庶民の力。小さな声一つでも上げれば必ずや届く」と声を震わせました。
次男で落語家の林家三平さんの呼びかけで参加者は犠牲者に黙とう。漫画家のちばてつやさんは「当時は中国にいて終戦後1年間逃げ回った。零下20、30度の中、おじいちゃんや友だち、たくさんの人が死んだ。戦争は加害者も被害者もみんな犠牲者となる」と話しました。
地元の小中学生や幼稚園児が歌や朗読を披露。祖父から空襲の話を聞いた小学5年の男児は「空襲は悲しみを与える不幸な種。戦争は許せない。今ぼくらにできることは戦争の悲しみを伝えること」と話しました。
日本共産党の小池晃書記局長と市田忠義副委員長、吉良よし子参院議員が出席。市田氏は来賓あいさつで「二度と戦争はしないと誓い勝ち取ったのが憲法9条。戦争と植民地支配の深い反省の上に立って、9条を生かした平和の外交で、アジアと世界に平和を築いていくことが戦争で生き残った私たちが犠牲者に報いる唯一の道です」と話しました。