Dr.小池の日本を治す!
「尖閣は日本領」 堂々と正当性示せ
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 尖閣諸島は、歴史的にも国際法上も、明確な日本の領土です。日本共産党は、1972年に日本の尖閣諸島領有は正当との見解を発表していますが、中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突事件で関心が高まっており、あらためて党としての見解をご説明したいと思います。

◆75年間一度も抗議なし

 日本は、1895年1月14日の閣議決定によって、尖閣諸島を日本領に編入しました。歴史的には、これが尖閣諸島に対する最初の領有行為であり、「無主の地」を領有の意思をもって占有する「先占」にあたり、国際法でも正当と認められている領土取得でした。

 1919年には、中国福建省の漁民が魚釣島付近で遭難。同島の住民が救助し、全員を中国に送還しました。この救援活動に対して送られた中華民国の長崎駐在領事からの感謝状には、尖閣諸島が日本の領土として記述されていました。

 中国は、尖閣諸島は日清戦争に乗じて日本が不当に奪ったものだと主張しますが、当時の日清講和条約(下関条約)の交渉過程を検証しても、尖閣諸島の扱いに、中国側は一切の異議や抗議を表明していません。戦後も、サンフランシスコ平和条約で尖閣諸島が米国の施政権下に置かれ、日本への「返還区域」に含められたことについて、70年代までは不法と主張しませんでした。

 53年1月8日付の中国共産党機関紙「人民日報」では、「琉球群島は、わが国台湾の東北および日本九州島の西南の間の海上に散在し、尖閣諸島、先島諸島(中略)など七つの島嶼(とうしょ)からなっている」と、「尖閣諸島」という日本の呼び方で日本領土として紹介しています。また、北京市地図出版社から58年や66年に発行された中国全図などでも、尖閣諸島は中国領の外に記載されているのです。尖閣諸島が台湾など中国の領土に属するものではなく、中国側も70年代にいたるまではそのように認識していたことは明白です。

 このように、1895年から戦後の1970年までの75年間、中国側は一度も日本の領有に対して異議を唱えていないのです。これは国際法上も、日本の領有が正当なものである決定的な論拠の一つとなります。

◆腰据わらぬ歴代政府の対応

 ところが、中国、台湾は、尖閣諸島付近に海底資源の存在が指摘されるようになった70年代に入って、領有権を主張しはじめました。尖閣諸島をめぐる問題はこの時から始まったのですが、歴史的にも国際法上も日本の領有権は明白なのに、これほどこじれてしまったのはなぜか。そこには歴代日本政府の腰の据わらない対応がありました。

 78年の日中平和友好条約締結は、領土画定を明確にするよい機会でした。しかし当時のトウ小平中国副首相が尖閣諸島の領有問題の「一時棚上げ」を唱え、これに対して日本側が領有権を明確な形では主張しなかったのです。当時の福田赳夫首相は、尖閣の領有権の確認を中国側に申し出ることは、「全く要らざることである」(衆院外務委員会、78年10月16日)と述べていたのです。その後も、中国が「領海および接続水域法」に尖閣諸島を自国領と明記した際にも、外務省は口頭抗議だけという腰の引けた対応でした。そして今回の事件でも、民主党政権は「領土問題は存在しない」と中国との正面からの論争を怠ってきたのです。

 領土問題への対応には、その場しのぎでなく、歴史的事実、国際法の道理に則したゆるぎない立場が求められます。前原誠司外相は、わが党の議員の質問に「中国や国際社会に対して日本の立場を発信してきたかどうかについては、大いに反省するところがある」(9月30日衆院予算委員会)と答弁しました。日本政府はこれまでの態度をあらため、尖閣諸島の領有の正当性を、国際社会と中国政府に堂々と主張すべきです。中国政府も事態をエスカレートさせたり、緊張を高める対応は慎まなければなりません。(日本共産党政策委員長)

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